メインブログの記事を転写しました。

メインブログに書いた記事ですが、
こちらにも転写して記事として残してみます。

出典:「隠居生活」を「趣味」で満たそうと思います♪
http://takase1970.xyz/



「週末は嫌な気分になるだろう。」


人は時として残酷な事を発してしまう生き物。
24時間テレビを観た視聴者が、
体の不自由な人が障害を克服し、頑張る姿を見る。

刺激を受けた視聴者が、次の日に、
車イスを利用する人を捕まえて言うのです。

「あなたも車イスバスケットをやれば良いですよ!」と。

それが、
例え相手を励まそうとする言葉であっても、
相手の心の状態によって捉え方が違ったりする。

僕は大ケガを負って、
歩けない体になって、
車イスを使って生活する事になった。

歩けない体になって、
自分の将来に絶望している時に、
24時間テレビを観て、
刺激を受けた看護師に言われました。
「まだ若いんだし!」
「車イスバスケットをやれば良いんだよ!」と。

人生に絶望している僕が、
「ああ、バスケットか!」といって、
人生に希望を持てるのでしょうか?

歩けなくたって、
「車イスバスケがあるじゃないか!」と、
やった事も無い車イスバスケットに、
明るい未来を託せるのでしょうか?

車イスバスケットをやる人は、
リハビリも終わって、
社会復帰も出来て、
仕事も出来て、
余暇を楽しもうとする人が多いです。


大ケガを負ったばかりの人に、
人生に絶望し、退院後の生活や、
これからの生活に不安を抱えている人に、
たやすくかける言葉ではない。


もし、自分が、
大ケガを負って、
明日の生活も、今後の人生にも、
途方に暮れている時に、
「車イスバスケットをやれば良い!」
だなんて言われたら?どう思いますか?

「ふざけるな!」と言いたくなりませんか?

そして、口先だけの言葉には、何の力もありません。

辛い思いをしている人を捕まえて、
「生きていたら、必ず良い事があるから!」
とキレイごとを言う人がいます。

それは、
辛い思いをしている人に向かって、
「私は、何て素敵な言葉をかけているんだろう」
「私って、素敵な人間だよね」
と、自分に酔っているだけかも知れません。

それを世間では「偽善」と呼びます。

僕は、そうやって、
辛い思いをしている人を利用して、
「素敵な言葉」をかけて、
自分に酔っている人に反論します。

「生きていたら、必ず良いことがあるから!」
と言われたら、こう返すんです。

「生きていたら、そりゃ良い事もあるでしょう。」
「それと同じで、」
「生きていたら、悪い事もあるでしょうね。」


このように反論するんです。
そうすると、相手は何も言い返してきませんでした。

口先だけの言葉には、
心がこもっていないんです。

自分が、良い格好をしたいがための言葉に、
どんな力があるのでしょうか?

また、
若い人が、大きな病気を抱えてしまった時、
口先だけの人は言います。

「まだ、お若いんだから!」と。

いえいえ、
若いから何だというのでしょうか?

もし、若くなかったら、
どうでも良いのでしょうか?

若くなかったら、
人生を投げやりになっても良いのでしょうか?

若いから、
人生を投げやりにならない方が良いのでしょうか?

「まだ、お若いんだから!」
という言葉に、どんな力があるのでしょうか?

年を取っていたなら、
「もう、あきらめなさいよ!」
とでも言うのでしょうか?

毎年、夏になると、
僕は嫌な思いをします。

24時間テレビなどを観て刺激を受けた人達から、
口先だけの言葉を浴びせられるから。


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