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僕は持病の治療のために、
週に3回の通院をします。

人工透析を受けていて、
火曜日・木曜日・土曜日、
朝の10時30分から、4時間の人工透析を受けます。

慢性腎不全になって、人工透析を受けています。
慢性腎不全は「治らない病気」だと言われています。

世間では、治らない病気だと言われているので、
取りあえず治らないという前提で言うと、
死ぬまでのスケジュールが決まっています。

週に3回、通院する事が決まってしまっています。

人工透析を受けないと、
体内の毒素が多くなって、
尿毒症の中毒症状を引き起こして死んでしまいます。

事実、
僕は、この病気になった時、
中毒症状を引き起こして病院へ担ぎ込まれました。

そして、入院した病院で、
3日後に心臓が止まりました。

集中治療室で心臓が止まったので、
医師たちの早急な対応で今があるようです。

中毒症状を引き起こしたときは、
・24時間、幻覚を見ました。
・24時間、幻聴を聴きました。
それはそれは、恐ろしかったです。

そんな経験があるので、
人工透析の「ありがたさ」が骨身に染みます。

もう、2度と、
あんな中毒症状の恐怖を味わいたくありません。

ということで、
僕は死ぬまで人工透析を受ける事になっています。
その事実を、僕はどう思っているのでしょう?

・人生を諦めている?
・何も考えていない?
・ポジティブに考えている?
・ネガティブに考えている?
・行き当たりばったり?

正直言って、
その日の気分によりますね。

季節によっても、気持ちって変化しますし。

ポジティブな気持ちでいる時は、
「病院へ、好きな人に会いに行こう!」
そんな風に素敵な1日になるでしょうし、

ネガティブな気持ちの時は、
「病院へ行くと、あの苦手な人の顔を見るのが億劫だな」
と思うでしょうし。

その日の気分で、
ポジティブにも、ネガティブにもなります。

その季節によって、
気持ちが動かされます。

つい先日、
地元の近くの駅で人身事故がありました。
その後のニュースは見ていません。

また、その日は、
近くと言えば近くなのですが、
同じような人身事故がありました。

同じ日に、同じような場所で2件の人身事故がありました。

3月という時期に、
「自ら命を絶つ」方が多いそうです。

9月という時期にも、
「学生さんたちが、自ら命を絶つ」方も多いようです。

それらの時期・季節に、
人の心に影響するような「何か」があるのでしょうね。

心を不安にさせるものが。

3月ですと、
卒業したり「別れ」が多いと思います。
また、社会人としての始まりでもあり、
なにかと、色んな世代に不安が多いでしょう。

9月ですと、
学生さん達の長い休みが終って、
新しい学期を迎えて、孤独感を持ってしまう事があるようです。
そういった不安が、背中を押してしまうのかも知れませんね。

孤独感って、恐ろしいものです。
僕も経験しています。

両親の離婚で母子家庭となり、
やさぐれて非行に走りました。

その時も孤独を感じました。

また、
中学を卒業し、社会人となり、
しばらくして1人暮らしを始めました。

仕事を終えて、
真っ暗なアパートへ帰ります。

電気をつけて、
買って帰ったパンを食べて寝る。

朝、起きて仕事へ行く。

また、スーパーでパンを買って、
真っ暗なアパートに帰る。

そんな生活が1年ほど続きました。
孤独でしたね。

でも、
僕の場合、HSPという敏感な体質で、
1人でいる方が「楽」だったようです。

人と群れていた方が安心感があると思っていましたが、
いえいえ、
群れないで孤独な方が楽でした。

孤独で寂しいと、「思い込んでいた」だけだったんです。

そりゃ、
愛し合える人と暮らせたなら?
それは幸せでしょうけど。

でも、
1人でも、さほど?不幸ではありません。

メダカを飼っています。
植物を育てています。

生き物達と共存しています。

その、生き物達は、
僕を裏切りませんからね。

人は裏切ります。

だから、
僕は1人の方が、
裏切られないで安心なのかも知れません。

ということは、
人に「信頼し過ぎるから?」
人や世の中に「依存しすぎるから?」
孤独感にさいなまれるかも知れません。

自分だって、
他人の事なんて、
そんなに意識なんてしないでしょ?

他人がどうなろうと、
いちいち、気にしてないでしょ?

自分と親しい人達の事なら、
少しは気になるでしょうけれど。

最近、
僕は、他人の人生なんて、
「どうでも良い」と思っています。

言い方は悪いですが、どうでもいい。

まず、
自分がこの世に生まれて来たんだから、
自己中かも知れませんが、
自分の幸せを求めます。

他人の幸せは、他人が自分で求めるでしょう。
ほっとけばいい。

まず、自分を幸せにする事だと思うんです。

だってね、
自分自身を幸せに出来ないような人に、
他人を幸せにすることが出来ますか?

自分を幸せに出来ないくせに、
他人なんて、幸せに出来る訳が無いんです。

「他人の幸せを!」なんて言う人なんて、
偽善者だと思うんです。

僕は、まず、自分を愛します。

そして、
自分を愛せたならば?

自分を愛するように、
他の人達を愛したいと思っています。

僕は、死後、
自分がどうなるのか?

その答えを、自分なりに持っています。

だから、
今、生きている事を「試練」だと思っています。

試練を受けて、品性を磨いているのだと。

だから、
自分の置かれた環境や状態で、
どのように「立ち回る」か?
試されているのだと思っています。

ハンディキャップがあるのと、
ハンディキャップがないのとでは、
やはりハンディキャップがない方が良い。

しかし、
ハンディキャップがあって、
物凄い事を成し遂げたならば?

それはそれは、凄い事だと思う。

僕には、その、
凄い事を出来るチャンスがあるんです。

ハンディキャップのお陰で。


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